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◇砕鳴
放った弾丸は乱戦の中に吸い込まれて消える。
だが、聞こえるのさ。
こいつを通じて

聞こえるはずの無い

敵兵の命が砕ける音が。


砕鳴――サイメ。

だから、俺はこいつをこう呼ぶ。




深い森の間を縫って、光が満ち始める。

朝が来たのだ。

山中の村々では夜盗や獣の脅威から解放され、安堵の息とともに、ささやかな日々の営みが始まる。 しかし、夜陰に紛れざるを得ない者にとっては、その光は安息の時の終わりを意味していた。
獣道すらない未開の森を夜通し歩きつづけていた二つの人影は、日の光から逃れるように、 地面にあいた窪みに身を潜めた。


一人は、中背、日に焼けた顔。結っていた髪はとうに乱れ、その間から、土気色の肌、厳しく削げた頬、 強固な意志を感じさせる炯々と光る目が覗く。何より、その男の印象を決定付けていたのは、右脇に 携えられた銃槍だった。男の顔や肌と同じように、幾条の傷の走るそれは、彼らの戦歴を物語っている。

その隣に蹲っているのは、粗末な胴丸に、刃先も柄も無数の傷と血でぼろぼろになった槍を抱えた雑兵だった。 血と泥のこびり付いた顔は、隣の男に比べると随分と幼げに見える。短く切られた前髪の下の、二つの小さな 突起は、彼が人ならざるものの血を引いていることを表していた。

数日前、大きな戦いがあった。

その一方に属する兵士のうちの一人として戦場に出た彼らは、今は敗残兵として、追われる立場になっていた。
随分と逃げてきたが、落ち武者狩りの部隊は彼らを執拗に追ってきていた。

若い男――名は此岸

彼は、ちらりと隣人を、肩越しに覗き見た。

その男は、領主から下賜されたという銃槍で、戦の帰趨を何度も変え、幾多の戦場で武名を挙げた有名な武将だった。だから、逃避行の中、彼には多くの者が付き従った。此岸もその中の一人だったが、彼以外の兵士は此処にいたるまでで或る者は力尽き、或る者は討たれていった。

男も、無傷というわけではなかった。割れた胴丸の隙間から、幾重にも巻きつけられた布が見え、それはどす黒く染まっていた。時折、苦しげに大きな息を吐き出す。彼は森に入る前からかなりの深手を負っていた。だが、追跡者の手から逃れる事を、諦める様子は全く無かった。

銃槍をぼんやり見つめていた此岸がふと目を上げると、男もこちらを見ていた。

どちらからともなく立ち上がる。

森の中。風も無く。動物の気配もしない。だが、ここ数日で極限まで鋭敏になっていた感覚はたしかに追跡者の接近を知らせていた。彼らは束の間の休息を打ち切り、音も無く窪みから滑り出た。

男は、数分と経たずに、肩で大きく息をしはじめた。
遅れこそしないものの歩くたびに身体が大きくかしぐ。

ざくざくと草を踏む音と、男の息遣いだけが、静かな森に響いている。
此岸はつい一月前までは故郷の村で小作をしていた。
雑兵として徴兵されて出陣した戦で、同じ村から出てきた連中はほとんど死んだ。

汗をぬぐう為に、無意識に額にやった手が、角に触れる。
最初は布を巻いて隠していたが、激しくなる戦闘の中では隠す必要もなくなった。
だが、それは、常に彼の心に影を落とす。

オニである父親の事はほとんど覚えては居ない。
戦に出るまで、母の故郷で過ごした日々。それらは思い出したくも無かった。
ほんの数日間の兵士としての記憶、それだけが彼の心の大半を占めていた。

戦場で、雑兵の命は紙のように軽い。
でも、彼は生き残った。
一つの昏い情念が。彼が戦場に横たわるのを許さなかった。

今も、それは、此岸を捉えて離さない。



歩き出してから、かなりの時間が経ったようだった。

相変わらず、じわじわと近づいてくる複数の気配。
此岸は幾分か歩を緩め、男を先行させた。
息を詰めて、槍を手放し、懐から小刀を出す。

男が振り向く。大きく傾いだ身体の、右肩に、深く、刃が吸い込まれた。

刃を引き戻すのに引きずられ、男がうつ伏せに倒れる。銃槍が投げ出され、どさりと草の上にその身を沈め、 此岸は、それを男の手の届かない場所へと蹴飛ばした。

「…連中も、あんたを見つけりゃ満足して帰るだろうさ。」

そう言って、此岸は、男を足で仰向けにした。
男を見下ろす顔は蒼白で、息は荒い。微かに震える手で、小刀を構え直したが、男の、 上目遣いに此岸を見やる目に射すくめられ、手を止める。

しばらくその姿勢のまま、男を見下ろしていたが、
やがて、小刀を足下に投げ捨てた。

俺が殺るまでもねえ

口の中でつぶやくと、数歩あとずさりながら、周囲を確かめるように見回す。最後に、 倒れたまま動かない男を見ると、踵を返して走り出した。草むらの中の銃槍に蹴躓く。 それを抱え上げ、森の中に消えた。


2004/06/03