×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


【私は待っている】

今では無い、いつかの記憶が、目の前に現れる事がある
今、目に映っている物以外、何一つわからない事がある

ずっと誰かを探しているはずだが、それが誰だか解らない
夢に見るほど焦がれているはずだ
でも、そもそも、夢なんて、もうずっと前から見ていない
昼も夜も



……だから、これは、少なくとも夢ではない。

女の子がこちらに向かって走ってきている。
年は10歳前後だろうか。真冬だというのに、薄手の長袖Tシャツに膝丈のスカートという格好で、靴も靴下も履いてない。だが、私は、そんな事よりも、女の子の背後から追いかけるように迫っている炎に気をとられていた。

炎はすぐに女の子に追いつき飲み込み、周囲に広がって、真冬の殺風景な公園を、火の粉の舞い散る火事場に変えていく。女の子は炎に巻かれながらも走り続け、やがて、私の目の前に立った。私はベンチに寝そべっていたので、女の子は私を見下ろす格好になった。

年相応の可愛らしい顔だ。体のあちこちに火が燃え移っていて、髪の毛の焼ける、独特の匂いが鼻をついた。だが、当の女の子は、他の事に気をとられているようだった。ひどくおびえた様子で、後ろを振り返り、もう一度こちらを見て、私の寝そべっていたベンチの下に潜り込んだ。

私は、なんとなく体を起こすとベンチに座りなおした。コートのすそで、ベンチの下は死角になったはずだ。ただ、どこから来る何から女の子を匿えば良いのか良く解らないので、これが意味のある行動なのか自信は持てない。

しばらくそのままでいると、炎の間から、若い男が現れた。20歳前後、端正な顔立ちだ。仕立ての良さそうなコートを着ているが、端々が焦げていて台無しになっている。走ってきたらしく息があがっていた。若い男は私を見て、軽く会釈をすると、口を開いた。

「あの…」

「……」

「ずっとここに?」

「……」

「何か、変わった事はありませんでしたか?」

「……」

「急にどこかを火傷したとか?」

「……」

背後からの炎に照らされ、赤い輪郭に縁取られた若い男は、少し困ったような顔をして、おかしいな、と、つぶやき、来た時と同じように走り去った。

いつの間にか一面の炎は消え、辺りは何の変哲も無い真冬の公園に戻っていた。
女の子は居なくなっていた。



わたしは助けを待っている。

おうちが燃えている。
どこまで行っても、お外に出られない。

向こうに誰か居る。
助けに来てくれたのかな?

お願い、助けて。
火が来るよ。

どうして止まってくれないの?

待って。
ほら、こっちを見て。
火が来るよ。

どうして止まってくれないの?

ねえ、待って。
わたしも連れてって。
置いていかないで。

わたしは足にしがみついた





深夜。人通りの途絶えた、高架下のトンネル。スーツ姿の中年男性が、叫び声を上げながら転げまわっている。遠目には、酔っ払いがくだをまいて暴れているようにも見えるが、その表情や声は生命の危機を感じさせる程に切迫していた。

トンネルの向こうから、男が一人、歩いて来る。よれよれのコート、薄汚れたシャツとズボン。髪は伸び放題に伸び、髪の間からちらちらと見える顔は青白く痩せこけている。年齢は判然としないが、トンネルの貧弱な灯りのせいで顔には深い影が落ち、随分と年かさに見えた。男は、やがて、叫び声を上げ続けている男の前で足を止めた。

狂態の理由はすぐに解った。ズボンが焼け焦げてあちこちに大きな穴が開いていて、むき出しになった足の皮膚に、ひどい火傷を負っている。周囲に火の気がまったく無いにも関わらず、火傷の範囲は見る間に広がり、重篤さも増しているようだ。

男は、慌てる様子も無くコートを脱いで、転げ回っている男の足に、叩きつけるようにした。数回も叩くと、火傷の範囲の拡大は止まった。様子も幾分か落ち着き、叫び声を上げる代わりに、苦しそうにうめいている

「ほら、火は消えたよ。でも火傷が酷いから、救急車を呼ばなくちゃな」

男が、傍らの誰も居ない暗闇に向かって言った。

「その必要は無いです」

煙の向こうから声がした。トンネルの反対側に、いつの間にか若い男が立っていた。若い男は、うめき声を上げている男に歩み寄ると、傍らに屈んだ。右手のひらを、そっと火傷を負っている箇所に当てる。若い男を包み込むように、二重写しに、長いローブを着た男の姿が浮かび上がった。白い光が手を当てた箇所から漏れ出し、火傷が綺麗に消えてゆく。それに伴って、うめき声も、徐々に止んでいった。やがて、火傷は完全に消えた。ただ、トンネルの中には、まだ煙と不快な匂いが漂っている。

男は、その様子を見ながら、ゆっくりとコートを羽織りなおした。ただでさえ薄汚れていたコートは、煤と埃で、ひどい有様になっていた。そのコートの裾を、誰かが、そっと掴む感触があった。男は、自分の背後に在る何かを隠すように、ほんの少しだけ立ち方を変えた。

「……あなたにはその子が見えているんですね」

若い男は、その動きを見逃さなかった。

「……」

「見ない顔ですが、ナイトメア・ハンターですか?」

「…………ナイトメア・ハンター」

その言葉には聞き覚えがあるような気がした。しかし、過去に聞いた事があったのか、それとも、今聞いて既視感を憶えているだけなのかは判然としない。

背後の気配の主が離れる気配がした。

振り向く。

女の子が、怯えながら、後ずさっていた。
煤で汚れたその顔に、誰かの顔が重なった。



誰か。

その誰かは、丁度これ位の歳だった。

『もう大丈夫。あなたを捕らえていた悪夢は消えたわ』

ずいぶんと大人びた口調で話す少女だった。

『行く所が無いなら、うちにくればいい。ちょうど男手が足りないの』

『……夢の中でもあたしを手伝いたいの?』

『構わないけど。あなた、なれるかしら。ナイトメア・ハンターに』

彼女はやがて、大人の女性になった。
彼女はどんな悪夢にも怯む事は無い。
彼女は取り乱すことも感情を荒げることも無い。
彼女は誰の助けも必要とはしていなかった。

それでも、ただ、側にいた。

いや、ただ、側に居る事すらできなかった。
だって今その子は居ないじゃないか
今居るのは、怯えた目をした、薄汚れた女の子だ。



女の子は背を向けて走り去ろうとした。

「待って」

手を伸ばして、女の子の腕を取る。
手の平が焼けつく感触がした。

「危ない、離れて」

若い男が叫んだ。

「……――ちゃん、聞いて。君は火事にあって火傷を負ったけど、助け出されて今は病院にいるんだ。もう助けを求める必要は無いんだよ」

「熱いよう。誰か、誰か来て」

女の子が悲鳴を上げた。

「おとうさん。おかあさん。来て。助けて」

全身から炎が吹き上がり、火達磨になって、うずくまる。

「こわいよ。真っ暗で、真っ赤だよ」

「…………大丈夫」

かすれた声がした。
女の子が顔を上げる。

「ほら、もう大丈夫」

うずくまった女の子を隠すように、男が覆いかぶさった。女の子に触れる箇所から、コートは見る間に焼け焦げていき、白い煙があがる。何かが焼ける音がトンネル内に反響する。

若い男が、慌てて駆け寄ろうとした。

女の子は掻き消えて、支えを失った男は、その場に崩れ落ちるように倒れた。



もうずっと前から

今では無い、いつかの記憶が、目の前に現れる事がある
今、目に映っている物以外、何一つわからない事がある

ずっと誰かを探しているはずだが、それが誰だか解らない
夢に見るほど焦がれているはずだ
でも、そもそも、夢なんて、もうずっと前から見ていない
昼も夜も



「……ナイトメアは滅んだよ。あんたの体も元通りだ」

ベッドの傍らに立つ、医者らしい男は言った。

「本当に、無茶をする。超能力で治しきれない傷だってあるんだ。死んでしまえばそれっきりになる事もある」

うす暗い部屋。
コンクリートむき出しの壁と天井。
男は冷たいベッドの上に横たわっていた。
天井を見つめたまま、男は言った。

「私は夢を見ていたわけではないんですね」

医者は何を言っているんだ、という表情をした。

「ナイトメア・ハンターらしいと聞いたが?」

「……」

「あんたレジェンドか?なら混乱しているのも頷ける。何か覚えている事は無いか?場所とか、人の名前とか」

男はわずかに頭を横に振った。
自分は夢を見ていたわけではないという事に、ひどく打ちひしがれていた。
どうしてそんな気分になるのかは解らない。

医者は、手に持っていた、写真を見た。
男のコートのポケットに入っていた、端の擦り切れた、古いカラー写真。
10歳前後の少女を中心に、年齢も服装もばらばらな男女が数人写っている。隅のほうに、今、目の前に居る男らしい人物も写っていた。今よりも随分と若い。

「独立任務局員の集まりだと思うんだが。調べれば何か解るかも……」

男が無言でベッドから立ち上がり、ふらふらとドアに向かって歩き出した。
ここに居る理由も、居続ける理由も思い当たらない。ただ、行かなければ、と思った。

「行くのか。まあ、気が変わったらまたおいで」

医者は、紙切れにボールペンでなにやら書きこみ、コートのポケットに、写真と紙切れを入れ、男に投げた。男は、コートを受け取ると、よろめきながら着こみ、ドアを開けて出て行った。

「いいさ。この町に流れ着いたのも、偶然じゃないはずだ」







……だけど、これは、少なくとも夢ではない。

私は、コートの裾をつかむ手を、待っている。

何故だろうか。

-------------------------------------------------------------
2009.1.30

戻る