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カッキアの街は周囲をぐるりと防壁で囲まれている。外敵に備えるというより、出入りする人や物を管理するためのものだ。幾つか設けられている門の周りには兵士や役人が居るが、彼らはあまり仕事熱心ではなく、わずかな通行料を払えば大抵の者はここを通る事が出来た。

一番東に有る小さな門の外に、ちょっとした広場がある。ここには時折、芝居小屋や見世物小屋が立つ。今は、中央に大きなテントがひとつ張ってあった。看板には、美しい人魚の絵が描いてある。テントの周りには人だかりができていて、小人が陽気に客を呼び込んでいた。

人だかりを掻き分けテントへ向かって進むと、入り口の脇に、大きな男が仁王立ちになって、入っていく客達を睥睨していた。半漁人のつもりなのだろうか、鱗のように板切れを貼り付けてある、はりぼての鎧を着ている。大男は、無言のまま、金を渡した客だけを中に入れている。脇においてある看板に書かれている入場料は、この手の見世物の値段にしてはかなり高いものだ。それを見てしり込みして帰る客も少なからず居た。今も、看板の前で考え込んでいる2人連れが居る。中背の青年と、背の低い少年だった。

「トマーさん、僕、自分の分は出しますから」

「いや、駄目だ。それじゃあ俺の気がすまない。これは助けてもらったお礼なんだからな」

「じゃあ、行きましょうよ」

「ちょっと、ちょっと待ってくれ…」

トマーが、財布を出して中身を勘定し始めた。ぶつぶつ何かをつぶやいている。何度やっても、今日これを見てしまうと、どうやっても、3日後には屋根のある所では眠れなくなってしまう。

「トマーさん……」

「兄ちゃんたち」

横で見ていた大男があきれたように声をかけた。

「そろそろ始まるから、入り口閉めるんだけど」

「あ、待って、入ります。二人分っ」

トマーが、入場料を押し付けるように渡し、ハナンを引っ張って中に入った。




テントの中は薄暗い。入り口を入ってすぐにはしごが掛けてがあり、上がっていくと客席に出る。客席といっても椅子の類が置いてあるわけではなく、木で組んである足場の上に客が思い思いに座る形だ。前面に半円形の木製のプールがあり、水が張ってある。客席はプールの円弧の部分に沿うように作られていて、上からプールの中を覗けるようになっていた。

客席には人がぎっしりと座っている。入り口でもたついたトマーとハナンは座る場所も確保できず、後ろのほうで立ち見する羽目になった。中央の前列、プールの目の前の良い場所には、ゆったりとした椅子が数脚並んでいて、そこに、身なりの良い男女が何人か座っている。普段こういう所には決して足を運ばない人たちだ。この出し物は相当な評判になっているようだった。

2人がなんとか落ち着くと、すぐに賑やかな音楽が流れ始めた。プールの上に張り出した小さな足場に、恰幅が良く、時代がかった派手な衣装を着た中年の男が現れた。

「ようこそお越しくださいました!!」

男の声は、賑やかな音楽に負けることなく、広いテント中に響き渡った。

「これからお目にかけますのは、はるか南の海で引き上げられた、正真正銘の人魚の子供、美しい、人魚の少女でございます!!」

会場内が、ざわめいた。男が、大げさに礼をすると、音楽はゆったりとした、異国風の旋律を奏で始めた。それを合図にするかのように、今まで波ひとつたっていなかったプールの水面に、ぱしゃりと水がはねた。

客達が押し黙った。静まり返った会場内に、甲高い笛の音が、長く長く響いて、やがてその残響も消える頃、水面に泡が一つ立ち、二つ立ち、水底にたゆたっていた何かが、ゆっくりと浮上してきた。

その何かは、水中でくるりと向きを変えると、水面を跳ね、また水中に没した。一瞬だけ見えたその姿に、観客が、息を飲んだ。水中を、優雅に泳ぐ影に、全ての目が釘付けになる。影は、今度は、何の前触れも無く水面に浮上した。肌を露にした美しい少女。その下半身は、青い鱗と優美な曲線を持った魚のものだった。長い、美しい黒髪が、水面に広がる。仰向けに浮かんだ格好のまま、人魚はゆっくりと水中へ沈んでいった。半ばまで潜った所で体を反転させ、水音を上げると、再びプールの中を泳ぎはじめる。人魚は、数回、また水面を跳ね、やがて、見えなくなってしまった。

いつの間にか、曲はやんでいた。

「皆さん!!」

人魚が泳いでいる間も、ずっと同じ場所に居たらしい男の声で、観客達は我に返った。

「世にも珍しい、美しい人魚の舞を、ご堪能いただけたかと思います。今回はこれにて終了でございます。またお会いする日まで……」

もう一度、男が、大仰にお辞儀をした。
まだ夢から覚めきっていないかのような顔で、客たちが立ち上がり、ぞろぞろと移動をはじめている。

ハナンもぼんやりと、人の流れと、もう何の気配もしないプールを交互に見ていたが、隣から聞こえる咳払いの声に気がついてトマーへと目を向けた。トマーは下を向いて口を押さえている。肩が少し震えているようだ。時折もれる咳払いでごまかしていたが、やがて抑えきれずに笑い出した。心配そうに見つめるハナンの視線に気がついて、肩を何度か叩いた。

「トマーさん?」

「大した人魚だったな。凄い凄い。美しい」

「あの女の人が探しているのはあの人魚さんなんでしょうか?」

「違うな」

「え?」

「でも、何か知っているはずだ。会いに行こうぜ、人魚さんに」




大テントの裏手には、小さなテントがいくつか設営されていて、その間に檻や大道具の類が無造作に置いてある。出演者達の生活スペースだ。檻の中では、さまざまな動物が所在無さげにしている。人魚の子供の出し物が始まってから、彼らの出番はなかった。

トマーは、ハナンを木の影に留め置いて、テント群の方へ音もなく歩いていった。慣れた身のこなしだ。あたりを歩いている人間達や、檻の中の動物が、トマーに気づく様子はない。しばらくして、トマーが戻ってきた。

「来いよ。そーっとな」

トマーに先導されるがまま、ハナンはテントの間を抜けていく。やがて、ひとつのテントの間で足を止め、躊躇することなく中に入っていった。ハナンも、あわてて後に続く。

テントの中は薄暗く、服や生活用品が散乱している。旅から旅のために片付かないというよりも、単にこのテントの主がだらしないだけのような印象を受けた。片隅に、酒瓶の乗った小さなテーブルと、質素な簡易寝台があり、寝台の上で、女性が一人、右手に酒盃を持ったまま、驚いた顔でこちらを見ていた。

小柄で華奢な子供のような体型で、顔にはそばかすが散っている。目は小さいが、黒目がちで可愛らしく、その目が彼女の全体的な印象を決定付けていた。下着の上から、ゆったりとした前空きのローブを羽織っただけの、だらしない格好だ。

「…誰?人を呼ぶよ」

警戒心あふれる声で、女性は言った。この状況下だが、怖がっている様子はなかった。手にした酒盃を離す気配も無い。

「俺だよ、久しぶりだな、アロエ」

「……トマー?」

アロエと呼ばれた女性が、トマーをまじまじと見て、複雑な表情をした。

「まさかこんな所で会うなんてね」

「俺も、こんな所で人魚をやってるとは思わなかったよ」

あの、と、ハナンが控えめに声をかけた。

「知ってる人ですか?人魚って…」

「ああ、あれ、あたしよ。ほら」

ベッドの横から、青い布を引きずり出す。光沢のある布を鱗の形に張り合わせてあるそれは、先ほど見た人魚の下半身だった。近くで見るとずいぶんとみすぼらしい。

「でも、あんなに綺麗に泳いで……」

「あ、聞いた今の」

アロエの機嫌が一気に良くなった。トマーに向かって、自慢げな顔をする。

「アロエは芸人だから。あれくらい化けるのはわけないんだ。近くで見たらこの通りだけどな」

「あんたに腹立てて無駄なエネルギー使うほどバカじゃないもの。ねえ、ボク?」

「ぼ、ボクじゃないです。ハナンです」

「あ、ごめんね。綺麗だったでしょ?歌だって、踊りだって、他にも色々できるんだよ。毎日アレばっかで飽きてきちゃってさ。何か見せてあげようか?」

アロエが、酒盃をおいて、うきうきした様子で立ち上がった。衣装の山に頭をつっこんで掻き分けている。ハナンが、困ったようにトマーの顔を見た。

「褒められて浮かれるのは後にして、ちょっと話を聞いてくれないか?」

「何よ。言いたい事があるなら勝手に言えばいいじゃない」

アロエは探し物をやめる様子は無い。

「普通に芸を見せりゃあいいのに、何故詐欺まがいの事をする?ま、詐欺まがいは常套手段なんだろうが、少々派手にやりすぎじゃないのか。御偉い方々もお見えになってるようじゃないか。この事がばれたら、おまえらただじゃすまないぞ」

アロエの動きが止まった。

「強請ろうっての?」

「一言目にそれかよ」

「でも強請るんでしょ?」

「質問に答えてくれるだけでいい。どうしてこんな出し物をしようと思った?人魚の子供ってのはどこから出てきた話なんだ?」

「……居たんだ」

「?」

「人魚の子供は確かに居たの。沖で網に引っかかって水揚げされたって話を団長が聞いて、本物の人魚の子供の出し物をやるってでかい宣伝を打ったの」

「どこに!?」

ハナンが、アロエの肩を掴んだ。

「人魚の子供は今何処に居るんですか!?無事なんですか!?」

「飛びついてはみたものの、実際見てみたら、思ったよりも見てて面白いものじゃなかったし、餌やったり世話したりする手間に見合うだけの価値が無さそうだったから、捨てたって」

「そんな!!ひどい!!」

ハナンが、悲しそうな顔をした。

「あ、あたしじゃないもの。団長が勝手に買ってきて、勝手に捨てたの。あたし見もしてないし」

「何処に捨てたんだ?」

「下水って言ってた。地下の」




人通りの少ない路地を、トマーとハナンが並んで歩いている。2人とも、ずっと押し黙っていた。あたりは段々と夕方の気配に変わってきている。

「地下が危ない所だってのは、他所者の俺でも知ってる事だぞ」

「……」

ハナンの応えはなかった。トマーは、とにかくハナンを早い所酒場につれ帰って、マスターに事情を話して引き渡そうと、そればかり考えていた。だから、すぐ目の前に来るまで気がつかなかった。

「……あー、俺も、まだまだだな」

数歩先で、道をふさぐように立つ男は、ケフェウスだった。部下は連れていない。

「えらく堂々と歩いてるじゃねえか」

「こそこそしなきゃならない理由がないからな」

「ウチの地下武器庫以外にも、ずいぶんと派手にやってるな。ここ一週間で5件」

「……だから、何の証拠があって俺って事になってるんだよ」

「デマイスの地下ワイン庫、めちゃくちゃだったぞ。酒は全滅だそうだ。他も似たり寄ったり。何も盗ってなくても、全部あわせりゃ縛り首までもっていけるかもな」

ケフェウスが愉快そうに笑った。結局、犯人が誰かなんてどうでも良く、ただ、トマーが気に入らないだけなのだった。ふと、トマーが、真剣な顔になった。

「なあ、被害は全部地下の倉庫か?」

「しらばっくれんなよ」

「この街の地下倉庫ってのは、だいたい下水の一部を改装して使ってるんだよな?」

トマーが、ケフェウスを無視して、ハナンに問いかけた。ハナンは頷いた。

「じゃあ……」

「あ、危ないっ」

ハナンがトマーを突き飛ばした。ケフェウスの蹴りが空ぶって、たたらを踏んで止まる。

「邪魔すんなガキ!!お前もしょっぴくぞ!!」

ハナンに掴みかかろうとしたケフェウスの頭に、小石が当たった。後ろを振り向くと、トマーが、小石を2つ3つ、手のひらで弄んでいる。

「ハナン、お前は酒場に帰れ。いいか、おかしな事考えるなよ」

「トマーさん」

「俺はこーゆーのは大丈夫だから。ちょっと晩飯前の運動してくる」

言い捨てて、止めるまもなく、横道に消えた。ケフェウスが、殺気立って後を追う。ハナンの事はもう目に入ってないようだった。あわてて後を追いかけたハナンだったが、すぐに2人を見失ってしまった。夕闇迫る路地。ハナンは1人、酒場に向かって歩き出した。




明かり取り用の小さな窓から見える空は、紫色で、夜の気配が色濃くしていた。

ベッドに女性が力なく横たわっている。掛けられた薄手の毛布の重みにも耐え切れないのではと思わせるような、弱りきった姿だ。彼女はここに来てから何も口にしていない。水や、食べ物を運んではいるが、どれも頑なに拒み、刻一刻と、衰弱している。今はもうベッドに起き上がることもできない。

ドアがそっと開いて、ハナンが入ってきた。頬が少し腫れている。女性が、気配を感じて、薄目を開ける。ハナンは、そっとベッドの脇に歩み寄った。

「……あなたの探している子の居る所、わかりました」

女性が、起き上がろうとして、力なくもがいた。ハナンが、乱れた毛布をそっとかけなおす。ベッドの脇に跪いて、女性の目をまっすぐに見た。

「無理しないでください。僕が探しに行ってきます。きっと、見つけますから」

幾分か落ち着いた様子の女性が、手を差し出した。ハナンの、腫れた頬にそっと触れる。

「あ、これ、大丈夫です。ちょっとヘマしてマスターに怒られちゃって」

明るく笑うハナンの頬を、愛おしそうに、女性がなでる。何か言いたげに、唇がかすかに動いた。頬から手を離すと、ハナンの右手を取って、薬指に、そっと口付けた。いぶかしげな顔をするハナンをよそに、女性は、また、目を閉じてしまった。ハナンは、女性の手を毛布の中に入れると、立ち上がり、部屋を出て行った。




そろそろ気の早い客も来る時間帯だが、店に明かりはついておらず、いつもは店の中を走り回っているハナンや、カウンターで鷹揚にそれを見ているマスターの姿も無い。時折ドアから店内を覗く客も居るが、その様子を見て帰ってしまう。トマーが来た時もそうだった。

カウンターの奥の厨房からは明かりが漏れている。覗くと、マスターが、床に座り込んで不貞腐れたように酒を飲んでいた。トマーを見ると、じろりと睨み付けた。

「…何回言えば解るんだ?」

「飲みに来たわけじゃないって。ハナンに用があるんだ」

「あいつは出かけたよ」

「……あ」

「止めとけと言っても、行くならクビだと言っても聞きやしねえ。しまいにブン殴ってやったんだがな」

マスターが、右手を握ったり開いたりしながらため息をついた。

「ヒョロヒョロで頼りない子供だと思ってたんだが、度を超して頑固で向こう見ずだ。困ったもんだ」

「あんた嘘下手だな。心にも無い事言うなよ。見てるこっちが恥ずかしい」

「俺をイラつかせに来たのか?」

トマーが笑った。

「ハナンに渡すものがあったんだ。ま、追いかけて渡すよ」

「…じゃあ、伝えてくれ。店閉めるまでに戻らなかったら本当にクビにするぞってな」

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