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フルル湾は海に突き出した岬で外海と隔てられている。波は穏やかで、また、天候も一年を通して安定している為、古くから、嵐を逃れたり風を待つ船が立ち寄っていたという記録が残っている。やがて、周辺の人口増加に伴って、交易の為に街と港が開かれた。今では、そのカッキアという街は、近隣では最も大規模な港を擁する、周辺地域の中心的存在となった。

倉庫が整然と立ち並ぶ海岸線。大小様々な船がひきもきらさず出入りする桟橋。船が着く度に、人や物があふれかえる。この、カッキア港の中でも最も賑やかな一帯から、湾を挟んだ反対側に「旧港」と呼ばれている地区がある。ここは最初に港が開かれた、言わばこの街が生まれた場所だ。しかし、十数年前に新しく建設された「新港」に主だった施設が移転してしまって以来、半ば朽ちかけた状態で放置されていた。

その旧港の片隅、倉庫の残骸が立ち並ぶ一角。そこに、短い掛け声が響いた。廃墟に隠れるようにして、ハナンが古びた剣を振っている。なかなか様になっていた。

数ヶ月前、お使いに出かけた市場の古道具屋の店先で、ガラクタに埋もれていた、練習用の刃のつぶれた剣。本物は逆立ちしても無理だが、これなら、ハナンのわずかな蓄えをはたけばなんとか手が届く。随分悩んで、結局、買ってしまったのだった。酒場の下働きである自分に剣が必要だとは思えない。それが解っているから、買った事も訓練めいた事をしている事もひっくるめてなんとなく恥ずかしくて、マスターにも何も言っていなかった。

太陽はだいぶ傾いてきているが、まだ、夕方と言うには少し早い。マスターは今頃料理の仕込みに入っているだろう。ハナンの次の仕事は日が落ちてからで、今は貴重な自由時間だ。ここの所、毎日のように、ハナンはこの時間を、剣を振る事に費やしていた。

ふいに、ハナンが手を止めた。何かが聞こえた気がして、耳を澄ます。もう一度、今度ははっきりと、数人の男の笑い声がした。今まで、旧港で人に遭う事は一度も無かった。気になったので、そっと声の方へ向かった。




倉庫街には運河が張り巡らされている。かつては盛んに小船が行きかっていたが、今は見る影も無い。運河は石造りで、古く、かなり立派なものだ。この運河は港ができるずっと前からこの場所にあったという。都市の遺跡の一部だと言われているが、何の記録も残っていない。海から続く運河は、途中で地下に入り、そのまま地下水路として街の下を縦横に流れている。運河の周りに港が出来、地下水路の上に街ができた格好だ。ただ、かつては最大限に活用されていた運河と違って、地下水路はわずかな部分が下水や倉庫として使われてきただけで、全貌を把握している者は居ない。誰も確たる理由は知らないまま、漠然と、あまり触れてはいけない場所だと言う事になっていた。旧港が放棄されたのは、あまりにも未計画に建てられた倉庫群の不便さや各施設の老朽化の為だったが、もしかしたら、得体の知れない古代の遺構を使う事への不安があったのかも知れない。

運河が海と接続する辺りには流木やゴミが溜まり、木の腐った匂いと淀んだ海の匂いが漂っている。その脇、かつては桟橋だった場所に、男が3人、女が1人。1人の男が、女の腕を掴んでいる。女は、掴まれた腕をなんとか振りほどこうともがいていた。あまり友好的な雰囲気では無いようだった。

女が大きくあけた口を動かした。必死で助けを呼ぼうとしている様子だが、声が出ないようだ。腕を掴んでいた男が、女性を突き飛ばした。よろめく女を、今度は他の男が抱きとめる。男たちがまた一斉に笑った。聞くに堪えない、下卑た笑いだ。

ハナンは思わず飛び出した。

走り寄るなり、手に持っていた剣を、思いっきり、女性を抱きとめている男の腰の辺りに、横なぎに叩きつけた。刃が潰れているといっても、鉄の塊だ。男はもんどりうって倒れ、女も投げ出された。ハナンが、女を庇う様に立った。

無言で、男たちを睨みつける。自分の荒い息と鼓動が耳に響く。ハナンは、自分でも驚くほどに落ち着いていた。手も足も、まったく震えていないし、次にどうすればいいかもすぐ解った。

まだ状況を飲み込みきれず、ぽかんと立ち尽くしている男達のうちの1人に、ハナンは斬りかかった。大上段から振り下ろした剣は、男の左肩を強打し、鈍い音を響かせた。男は悲鳴を上げて倒れた。最後の一人の方を向くと、逃げ出した後だった。

男が2人、地面に倒れ、打たれた箇所を押さえながら呻いている。女性は気を失っていた。あたりにはうす闇が段々のしてきている。ハナンは自分のやらかしたことが少し怖くなってきて、女を肩にかかえ、逃げるようにその場を後にした。女は細くて、びっくりするほど軽かった。




日は落ちたが、空はまだ幾分か明るい。港では労働者達がそわそわしはじめる頃合だ。まどろみ蛙亭にも、そろそろ気の早い客が来る。マスターは厨房で、今日の料理の味見をしていた。そこへ、ハナンが顔を出した。

「おう、おかえり。今日は客まだだから、もうちょっと休んでて良いぞ」

「マスター、あの、ちょっと……」

ハナンが、あわてた様子でマスターの袖をひいた。戸惑うマスターを、厨房の隣にあるハナンが寝泊りしている部屋に連れて行く。窓際に置いてある粗末なベッドに、ゆったりした長いワンピースを着た、背の高い女性が横たわっていた。長い黒髪と、青白い肌には、真珠のような奇妙な光沢がある。あらゆる人間が出入りするこの街に長く暮らすマスターですら、見た事の無い人種だった。

「誰だ?」

「知りません。あの、気を失っていて、置いておくわけにもいかなくて、それで」

「つれて帰ってきたのか」

「はい」

「おい、お嬢さん」

マスターが、女性の肩を掴んで、軽く揺さぶった。ほどなく女性は薄目を開け、あわてて飛び起き、マスターを睨みつけたが、後ろに居るハナンに気がつくと、少し落ち着いた様子で座り直した。2人を交互に見ながら、何かを言いたげにしているが、やはり、声は出ないようだった。

「喋れないのか」

「そうなんです……」

「困ったな」

「美人だな」

振り向くと、部屋の入り口に当然のようにトマーが立っていた。右手にはエールが並々と注がれたジョッキを持っている。

「誰も居なかったから、仕方なく奥に入ったんだ」

何か言われる前に、トマーが言い訳をした。

「昨日の今日どころか、今日の今日だぞ。何しに来たんだ。勝手に飲むな」

「悪い。喉乾いててよ。俺、ハナンに用があって来たんだ。済んだらすぐ帰るよ」

「僕ですか?」

「広場に見世物小屋が来てるの知ってるよな?おごってやるから明日見に行こうぜ」

「え、でも……」

「昼間はヒマなんだろ?」

「僕、見世物小屋にはあんまり興味が……」

「とんでもなく珍しい物が見られるらしいぜ」

「何がですか?」

「人魚の子供だってさ。漁船の網に引っかかったのを、小屋の主人が買い取ったんだってよ。正真正銘の本……」

最後まで言う前に、女性が跳ね起き、ものすごい勢いでトマーに掴みかかった。はずみで、トマーがジョッキを取り落とし、入っていたエールが女性の服に飛び散った。声が出たなら、さぞかし大きな悲鳴を上げていただろう、そんな表情で、女性が床にうずくまった。

トマーがひどく驚いた顔をした。ハナンも、マスターも、トマーと同じ物を見て、同じ顔になった。

スカートを手で押さえ、必死で隠そうとしているが、濡れて張り付いたスカートから、黒みがかった鱗が透けて見えている。

3人は、顔を見合わせた。

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